GEISAIにご来場の皆さん、参加者のアーティストの皆さん、 こんにちは。 GEISAIもいよいよ10周年です。
さて、この文章はアーティスト志望の皆さん。そしてプロとしてアート業界に入ろうとしている学生の方達に向けて書きます。
さてさて、GEISAIです。
10年間いろいろ文句をたれながらやってきましたが、なんとか最初の公約通り10年をまっとうすることができました。
「日本に独自のアートマーケットを!」
「Go to WEST !」
しかし、GEISAIが望んで変えた日本のアートの環境が果たして正しく機能しているのかどうか。そこが今は争点です。
十数名のアーティストは間違いなくGEISAIからデヴューし、世界に羽ばたいている。しかし、数百名の中堅どころが巧く行かなかった。
極めて日本的な「その場凌ぎ」な方向性にねじ曲がって行き矮小化したアーティストとアートマーケットを出現させてしまった。
まさに功罪を併せ持ったムーブメントとして日本のアートヒストリーに刻印されると思います。
しかし、私は言いたい。
その罪の部分は未然に防げた。
失敗したアーティストの辿った道のりとは以下のようなモノです。
GEISAIがブランド化し、貸し画廊が無くても発表出来る場が出来た。海外からお客様も呼んだりするうちに、独自のマーケットも出来て来た。そこに参加したアーティストの卵達はGEISAIのうま味を知った。GEISAIでまたGEISAIの外で、作品を売った。スカウトされた。嬉しい。マーケットの勉強もせずにどんどん売った。高く買われて喜んだ。仲間同士のつたない情報交換で仲間よりも好条件で取引された事を喜んだ。自分は賢いと思った。
そしてアジアのオークションに持ち込まれた。値が上がった。自分を正しいと思った。村上からGEISAI参加者へ警笛を鳴らして、その構造の危険部分を解説した。無視した。「おまえとは時代が違うんだ」と言わんばかりの振る舞いをした。2年間は値が上がり続けた。 注文が殺到した。
そしてバブルが弾けた。
注文主はいなくなり、オークションでの価格は限りなく0になった。
1度0になった価値に再びビットする人間等居ない事を理解出来ないでいる。
そして、、、どんどん、、、。。。
更に若いアーティスト達はどんどんとデヴューする。マーケットはスライドし、同じようなふくらし粉を与える。0価値のアーティスト達は行き場を無くして僕の所に相談に来た。後の祭りだ。今は業界を恨んでいる。騙されたと嘆いている。
違う!
君達自身がチョイスしたのだ。世の中を知らずに、バブル構造で自分の身の丈を知らずに奢った結果だ。そこに、美大で膨らまされたエゴを飼いならせない、美術系の学生がいて、また悲劇の繰り返しが始まる。
そして数年前の若者で、一度は夢を見ることができたが、今や売れない「自称中堅のアーティスト」と同じ轍を踏むことになっている事に気がついていない。
このストーリーがGEISAI#8ぐらいから、現在までの流れです。
これは実体験するまで僕にもわからなかった。本当にアーティストに必要なのは自由なマーケットだった、と思ってGEISAIをやって来たのだが、いざその扉が開いた途端、怒濤のごとく欲望のむき出しが若者から噴出した。今の日本の若い連中の抱える問題の扉も全開になった。自分自分。とにかく自分を探さねば行け無いと言う脅迫観念に縛られる日々。
これでは芸術が産まれるのではなく、芸術と言う新しい宗教の中で 自己発見の瞑想装置として作品を造るような構造になってしまっている。
それは違う!
エゴの巨大化した若くて無謀なアーティスト志望者には教育が必要である!マーケットの扉は開いた。次はクオリティを上げる事だ。作品のクオリティではない。作家の、アート業界で働く人間のクオリティをだ!GEISAIの次の10年のフェーズは教育に重点を置きます。
若さを武器にした突貫力は面白がられる。まして、その商品が安ければ、なおさら。しかし、その次のフェーズに進むには基本的な礼儀作法はもとより、その人格の品格が問われる。
今回審査員で集まっていただいた皆さんは、そういう意味で教育的な立場にいる方たちです。皆、参加者である君達に近い年齢、世代だし、ただバカ丁寧な訳だけではない。今時の文法を持ちつつも社会とのコンタクトポイントの策定と合体の手さばき、誠意、熱量等のスキルもパッションも高い方達です。
彼ら審査員に審査して頂くのは作品と共にその人格の部分であることもお忘れなく。
チアマン村上隆
(GEISAI#15 パンフレットより)